兼城グスク
兼城集落の北側、標高30mの丘陵にあるのが兼城グスクになります。一般的には兼城グスクと呼ばれていますが、カニマルグスクという呼称もあるようです。いずれにせよ語源は一緒であろう。 「ぐすく グスク分布調査報告(Ⅰ)-沖縄本島及び周辺離島-」によると、グスク入口には火の神、香炉などが設けられた拝所があり、この拝所から広場を隔てた崖縁に「村御本神」と記した碑文があり、香炉も設置されているという。香炉は伊保島の方向を向いていることなどから島へのお通しと考えられるという。城壁は、最高2m、幅は1.5m~2mで、北側から東側に見られ、崖沿いの西側では見られないという。口碑によれば、グスクは照屋グスクと対立関係にあったという。 「沖縄の拝所300」によると、兼城の根屋はスク幸地腹であるが、人数は少ないという。一方、照屋グスクにいた波平門中が、南山城が滅んだことにより、兼城に移住してきて、兼城内の8割を占めるまで至ったという。スム幸地門中と波平門中はことごとく張り合い、近世まで犬猿の仲だったという。 もっとも、兼城按司も南山系のようである。丘の中腹にある洞穴は下川権現と呼ばれ、昔、スム幸地腹の娘が訳あって隠れた所だという。 「琉球国由来記」の兼城村にある「城之殿」は、上記「ぐすく」によると、兼城グスクに比定されているようだ。 探訪したのは2009年8月になりますが、当時管理人は奥間グスクと兼城グスクの位置関係を正確に把握してなかったので、ほとんど写真はありません。 |
管理人の記憶では多分兼城グスク内で撮った写真だと思うのだが・・・。違ったらすみません。 |