潮平グスク
座波との境界沿い、県道82号線の北側にある標高65mほどの小丘が潮平グスクになります。 「ぐすく グスク分布調査報告(Ⅰ)-沖縄本島及び周辺離島-」によると、グスクは採石より壊滅してしまったが、採石前は高さ1m前後の石積みが廻らされていたという。また、グスクと関係する門中は百次、大殿内、嶽元などがあるが、百次門中の口碑によると、グスクの築城が北山滅亡後から始まり南山滅亡直後に中途で終了したという。 「角川日本地名大辞典沖縄県」からの孫引きになるが、「遺老説伝」によると、潮平という地名の由来は、北山の今帰仁按司の末裔が製塩で生計を立てたことにちなむといい、「沖縄の井戸礼拝」によると、潮平には大殿内、百次の祖が今帰仁から落ち延びてきたという。そうすると、北山の子孫によるグスクであったことは、ある程度間違いないように思われる。もっとも、上述したように、グスクは壊滅しているため、伝承の裏付けをすることは難しいであろう。 なお、「琉球国由来記」における年中祭祀の欄に潮平村はない。少なくとも同本が完成した1713年には、拝所としての機能はなかったのであろう。 グスクを探訪したのは2009年8月になります。本ページ作成時(2015年)より6年も経過しているため、今は更に形等が変わっているかもしれません。 |
確かに人為的に削られた感があります。 | 沖縄県地図情報システムを見る限り、貯水塔付近までグスクの範囲になるようだ。 |
特に何の変哲もありません。 | 削られる前はどんな感じだったのでしょう? |