楠木集落
楠木集落は、西区にあり、古くからある集落です。 集落の至る所にはガジュマルの木が生い茂り、神様に守られた集落のようです。島の中ではそこそこ人がいる方に思われましたが、高齢化著しいようです。区長さんも、離島ならではの苦労をいろいろ語って下さりました。 さて、楠木は「くすき」と読みますが、下野敏見が指摘しているように、語源は南西諸島に広がるグスクではないかと言われています。彼の指摘によると、1466年に喜界島を征討した琉球の尚徳王の勢力がここまで伸びたのではないかという。そして、トカラには八幡信仰が顕著であるが、尚徳王は八幡信仰の信仰も深かったという。現に楠木集落は、砦状の台地にあり、南西諸島のグスクの地形に通じるものがあるという。 もっとも、15世紀に尚徳王の支配が及ぶ前は違った集落名だったのかという疑問がなくはありません。しかし、グスクの本来の意味は墓であり、それが時代を経るにつれ意味が忘れ去られたという管理人の考え方からすると、15世紀に訪れた琉球王朝の者が、山城のあるこの地をグスクと呼んだとしても矛盾はないように思われます。グスクの語源を含めて考えさせる地名であり、いずれ別ページで論考できたらと思っています。 なお、楠木の山側には小城・大城という山城跡があり、近くにはタカグスキいう地名も残っている。グスクの数を考える上で、楠木をグスクとして捉えて、タカグスキは更に別のグスクと考えるのもあり得る話ですが、一先ず、グスクである楠木の中にあるのがタカグスキとして、グスクとしては一つとします。タカグスキについては別ページにて紹介。 |
集落への道。一見、この先に集落があるようには見えない。 | 集落入口です。西区の海岸から歩いて5分ぐらいでしょうか。 | |
入口には早速ガジュマルの大木が。 | 凄い気根です。 | 楠木集落内にはこのような看板が多い。村やNPO法人が一体となって作成したようです。ちなみに、NPOのお兄さんは島内のことに詳しくて助かりました。 |
楠木集落「巨樹・古木」学びの環境・癒しの里とあります。 | 次へ行ってみる。 | ローソク・アカヒゲの木だそうです。 |
巨樹ローソク・アカヒゲが巣立つ森とあります。 | 更に進んでみる。 | イヌマキ・アコウ・ガジュマルなどあるみたい。 |
多種多様な巨樹が生育、学びの環境・癒しの森とあります。 | 左にあるのはガジュマルですね。 | 見上げてみるとこんな風景。左奥には道があって、御岳方向に行けるみたい。 |
集落の奥に行くとタカグスキ(大城・小城)がありますが、それは別ページで紹介。 | 左の写真奥に見える看板です。ムラの鎮守の森とあります。 | 一旦集落へ引き返す。苔の道です。 |
川というか用水路みたいなもんでしょうか。水が豊富な島のようです。 | 日本最大の巨大ガジュマルだそうです。 | |
これかな。最早、木なのか分からないレベル。 | 力石もあるそうなのですが、どれなのかは分からず。 | ガジュマルは不思議な外見です。 |
別の場所へ移動。さっきから木々の写真ばかりですが、楠木集落内の家は道路の少し奥に立地していることが多いので、写真には収めにくいです。 | 多気根巨樹(絞め殺し木)ガジュマル。何とも物騒な名前ですが、ガジュマルは他の木に巻き付いて気根で絞め殺すことがあるとか。 | |
なかなか鬱蒼としています。 | 看板が多少見えにくくなっています。 | 推定樹齢400年の巨樹ガジュマル。 |
気根が目の前まで垂れてきてます。 | 400年も経つとこうなる。 | 集落内は割と鬱蒼としていますが、少し外れに行くと拓けた感じになります。 |
集落入口より港を覗く。ちなみに、ここにベンチが設置されていますので、のんびり休むのもありでしょう。管理人は西区の区長さんとお話することができました。 | 帰り間際に撮影。目の前の台地が楠木集落です。外からは家々が全く見えません。 | ちょっと遠くから。御岳は左の方になります。 |