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筥崎宮


所在地 福岡県福岡市東区箱崎1−22−1  説明については、現地看板から引用「筥崎宮は後醍醐天皇の延長元年(923年)に創建され、延喜式神名帳に八幡大菩薩筥崎宮一座名神大社とある。宇佐・石清水両宮と共に日本三大八幡として朝野の崇敬あつく、特に鎌倉時代以降は武神として武家の信仰をあつめた。なお、「敵国降伏」の宸翰を掲げる楼門は伏敵門として有名である。」。
 923年に創建されたにもかかわらず、927年に編纂された延喜式神明帳に名神大社として名前が載っており、朝廷からの厚遇ぶりがよく分かります。
 筑前国一宮ということですが、筥崎宮のサイトを見ても神社でもらった案内図を見ても、三大八幡という説明はあれども一宮という説明は何故かありません。同じ一宮である住吉神社に遠慮でもしているのでしょうか?
祭神 応神天皇(八万大神)
神功皇后(応神天皇の母君)
玉依姫命(海の神・神武天皇の母君)
社格等 筑前国一宮、式内社、官幣大社、別表神社、三大八幡宮
創建 延長元年(923年)
その他 地図リンク

一の鳥居 大鳥居はもっと戻った場所にあります。一之鳥居近くの駐車場に車を停めたため、見に行ってはいません。 
   
社号標。延喜式神明帳では名神大社とされ、明治時代は官幣大社に列せられました。 境内。日が沈みかけている。
儀式殿 手水舎 
 
大楠 お潮井砂。神社でもらった案内図の説明書きによると「博多では筥崎宮前の海岸の真砂を”お潮井”という。これをもって身を清める。春秋の社日祭の”お潮井”は特に尊いものとして扱われる。」。
 
湧出石。神社公認パワースポットでございます。古くは地面から露出した部分で天変地異を占った。今はこの石を撫でると「運が湧く」という。 国に一大事がある時地上に姿をあらわすという古い言い伝えがある石です。 これのようだ。 
社務所。うる覚えだし、どうでもいい話であるが、巫女さんに外人さんがいた気がする。 かの有名な楼門。何せ「敵國降伏」とあります。有名な話なんでしょうが、その真意は「武力によって相手を降伏させる(覇道)のではなく、徳の力をもって導き、相手を自ずから靡(なびき)降伏する(王道)という、我が国のあり方を説いています。」だそうです。 
拝殿 御神木である筥松の周囲。
「筥崎宮の御祭神、応神天皇が筑紫国宇美の里(糟屋郡宇美町)にてお生れになった時(西暦200年)、その御胞衣(おえな)を筥に納めて浪の音も静かな白砂青松の浄地に埋め標しの松を植えたと伝えられている。それがこのところであって その後この地を筥崎と称えこの松を「標の松」又は「筥松」といい御神木として尊んでいる。」だそうです。
「千早振る神代に植えし箱崎の松は久しき標なりけり」(続古今集)法印行清
ソフトバンクとアビスパ福岡の必勝祈願絵馬。 
ラグビーのレッドスパークスとプロバスケのライジング福岡 夕暮れ時です。
神饌所 拝殿&本殿 
東末社。左から稲荷殿・住吉殿・乙子宮・式内社・池島殿。 池島殿は古来より手足の守り神として信仰があり、わらじをお供えして病気の平癒を祈るとのこと。わらじ祭りというのも執り行われるそうだ。
上記のとおり祀られています。 裏門
西末社。左から民潤社・厳島殿・仲哀殿・若宮殿・龍王社。  
上記のとおり祀られています。  紫陽花園。6月になると100種類ものあじさいが咲き誇るらしい。
再び境内の中心部へ。正面は絵馬殿。 筆塚です。 
亀山上皇尊像奉安殿  亀山上皇とは鎌倉時代に元寇が起きた際に上記「敵國降伏」の筆を賜られた方です。
正面から。銅像は明治37年に完成したとのこと。 何かの碑。
唐船塔。日本に捕らわれた唐人の祖慶官人に関するエピソードが載っています。 奥が唐船塔で手前が夫婦石。祖慶官人が現地妻である日本人妻と別れ、唐から迎えに来た子供と唐に帰る時に腰掛けて名残惜しんだ石を夫婦石というらしい。