警固神社
所在地 | 福岡県福岡市中央区天神2丁目2−20 | 由緒については現地看板より引用「当社の御祭神は記紀に見える神直日神、大直日神、八十禍津日神の三柱であります。この御三神は仲哀天皇9年庚申(西暦200年)、筑前国那珂郡福崎の筑紫石のほとりに化現し給い、その年の冬、神功皇后新羅親征の時に再び顕われられ、軍衆を警固して勝利に導かれました。これにより皇后は凱旋の後、神号を警固大明神と仰いで、福崎丘上(現在の福岡城本丸跡)に奉祀せられました。これが、警固神社の創祀と伝えられております。後世の慶長6年(1601)、藩祖黒田長政公が福岡城築城の際、当社と薬院の地に御鎮座の小烏神社を城南下警固の山上に遷し合祀されました。当社は更に薬院の北(天神二丁目の現在地)に遷られることになりました。爾来、産土神として世人の崇敬篤く、黒田氏は特に尊崇され、元和7年(1621)11月5日、長政公より社領八十石の御寄附があり、相次いで歴代藩主の御寄進が行われました。当社は明治5年(1872)11月13日、村社に、大正5年(1916)2月26日、県社に昇格されました。現在は戦後の制度の改廃によって、宗教法人警固神社と称しています。」。 神社は福岡市内のど真ん中に位置しています。待ち合わせ場所としても使われるそうです。 訪れたのは2016年1月16日になります。 |
祭神 | 警固大明神(神直日神・大直日神・八十禍津日神) 相殿:建角身命・豊玉姫命・神功皇后・応神天皇 |
|
社格等 | 県社 | |
創建 | 仲哀天皇9年(200年) | |
その他 | 地図・リンク |
参道正面 | 社号標 |
由緒は上記で引用したとおり。 | 振り返る。大名地区になります。 |
足湯があります。 | |
良い天気でした。 | 神徳殿 |
社務所 | ちょっとした都会のオアシス。しかし、参拝者以外も駐車している気がしてならない。 |
手水舎 | 天然ミネラルの足湯です。 |
こちらです。 | サンダル履きをしている夏だったら入りたかったな。 |
碑 | 御神水。ミネラル水だそうです。 |
狛犬 | 狛犬 |
神門 | 振り返る。 |
拝殿。人がひっきりなしに訪れていたので、誰もいない状態では撮影できませんでした。 | |
授与所。後方には三越です。 | |
お神籤掛け | 絵馬掛け |
斜めから。 | 本殿 |
菅原神社 | 天照皇大神社 |
絵馬掛け。 | 一周してきました。 |
今益稲荷神社側の鳥居 | 正面 |
警固神社のサイトを見ても由緒等は特に書いてなかった。 | |
斜めから。 | |
針乃碑 | 警固神社本殿 |