高良大社
所在地 | 福岡県久留米市御井町1番地 | 由緒については、現地看板を引用「高良の大神は、悠久の昔から筑後川の流域に生活してきた人々が、その生活守護の大神様として奉持して参りました筑後国一の宮であります。御社殿御創建は履中天皇元年で、西暦四〇〇年と伝えています。また、朝廷の御尊崇も篤く国幣大社に列せられ、古くは式内明神大社として勅使の御参向を得て祭礼が行なわれた。勅諚によって御神幸も始められました。江戸末期までは、神仏習合の思考のもと天台の僧徒多数奉仕し、山内に二十六ヶ寺三百六十坊もあったということです。」。 祭神である高良玉垂命については、諸説あるようで、調べたら面白そうである。 本殿及び奥の宮については、高良山の中腹以上にあるので、麓にある一の鳥居から歩いて参拝すると、結構大変である。管理人は友人と訪れたため時間がなく、本殿と奥の宮だけ参拝しました。参道沿いには摂末社などがいろいろあるので、また訪れる機会があったら是非麓から上ってみたいものである。 |
祭神 | 正殿:高良玉垂命 左殿:八幡大神 右殿:住吉大神 |
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社格等 | 筑後国一宮、式内社、国幣大社、別表神社 | |
創建 | 履中天皇元年(400年) | |
その他 | 地図・リンク |
社殿に一番近い駐車場に車を停めて参拝。 | さすが一宮。文字が大きい。 |
由緒については上記で引用したとおり。 | 上は展望所なんだが、下の階は何でしょう? |
上る前にちょっと立ち寄り。 | 久留米市街が見下ろせます。 |
結構大きい街なんですね。 | では、参拝しますか。 |
なかなかキツイ階段だった。 | 上るとすぐ社殿が目の前に現れます。 |
手水舎 | 「八葉石碑残欠」とある。八葉石とは神籠石の古名だそうだ。 |
神籠石ではなく石碑の残りということか。 | 何故か近くにはニワトリが放し飼い。 |
高良大社のツツジ群生地 | 訪れたのは2015年4月18日。ツツジが咲き誇るには少し早かったかな。 |
大きいクスノキ | 福岡県指定天然記念物とのこと。樹齢約400年だそうだ。 |
「筑後路や ここ風禍なく 稲穂垂れ」と書いてあるのでよいでしょうか? | 根元 |
水分神社の霊水をここまで引く作業をしているという旨の説明書き | 石と貝殻があるが。 |
奥宮である水分神社へ行くにはここから。 | 藤の花 |
社殿 | 脇には摂末社がある。 |
末社真根子神社。御祭神は武内宿祢の忠臣である壱岐真根子命とある。 | 摂社高良御子神社。御祭神は高良玉垂命の御子神九柱。 |
印鑰神社。読みは分からなかった。御祭神は武内宿祢とある。 | 市恵比須社。神像は久留米市指定文化財だそうだ。 |
御輿庫 | 宝物館 |
祈祷殿 | 眩いですね。 |
授与所 | 社殿 |
絵馬掛け | 井戸? |
お神籤掛け | 社殿を一周してようやく拝殿へ。 |
狛犬 | 狛犬 |
門をくぐるといきなり拝殿。遠目からは撮影できなかった。 | |
斜めから。 | 斜めから。 |
展望所 | 献酒 |
ツツジ | 社殿 |
久留米市街 | ちょっと霞んでいるかなぁ。 |
高良山杉樹幹断面。何故か割れ目にお金が差し込まれている。 | では、下りますかね。 |
ここからは奥宮。本殿から上ってきたわけではなく、車道を上って来ただけです。逆光が眩しくてオーブが入ってしまう。 | 高良大社奥宮(奥の院)の説明書き。極一部だけ抜粋。「古くは「高良廟」「御神廟」と称し、高良の神である武内宿祢の葬所と伝えられていた。付近の地名を「別所」といい、678年開山隆慶最上人が、毘沙門天を立て、天竺国無熱池の水を法力で招き寄せたのが、この清水であるという。明治初年の神仏分離により、毘沙門堂は「水分神社」と改めたが、「あらゆる願い事を叶えてくださる神様」として、高良大社の数ある末社の中でも、今日特に厚い信仰を集めている。」。 |
また逆光。 | 4、5分ほど下りれば鳥居が見えます。少しピントがずれているな。 |
青々としています。 | 小祠が見える。 |
何を祀っているかは不明。 | 左記に同じ。 |
石碑。字は読み取れず。 | う〜ん、何でしょう? |
手水舎 | 水分神社。ちなみに「みくまり」と読むらしい。 |
社殿 | 初寅祭の説明書き。極一部を抜粋「「初寅祭」とは、「年初め」また月初めの「寅の日」に参詣すると、特に御加護を頂くことができるという毘沙門天の信仰に基づくもので、毎月最初の寅の日に執り行われている伝統の祭りであります。」。 |
裏側です。ご神体ではないですよね? | 眺め |
本殿からの登山道はこちら。 | 眺め。車で来たから分からないが、結構離れている? |