志賀海神社
所在地 | 福岡県福岡市東区志賀島877 | 説明については、現地看板から引用「古来、玄界灘に臨む交通の要衝として聖域視されていた志賀島に鎮座し、「龍の都」「海神の総本社」と称えられ海の守護神として篤く信仰されている。御祭神は、伊邪那岐命が筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原において禊祓(ミソギハラヒ)をされた際に、住吉三神と共に御出現された綿津見三神で、神裔安曇族によって奉斎されている。御祭神が、禊祓で御出現された神であることから不浄を特に嫌い、諸々の穢・厄・災・罪を祓い清め、また、海の主宰神であることから水と塩を支配し、私達の生活の豊凶をも左右する御神威を顕現されている。当社の創建は明らかではないが、古来、勝馬の地に表津宮・中津宮・沖津宮の三社で奉斎されていた。二世紀(遅くとも四世紀)に表津宮(底津綿津見神)が当地勝山に遷座、併せて仲津綿津見神・沖津綿津見神が奉祀されたと伝えられている。 往時の社殿は荘厳で、末社375社、社領50石を有し、奉仕する者も百数十名いたなど繁栄を極めた。社伝には神功皇后の伝説を多く残し、元寇の役など国家の非常の際に赫々たる御神威を顕示されたことから、社格も貞観元年(859年)従五位上、『延喜式』には明神大社、大正15年(1927年)には官幣小社の殊遇をうけている。 たまたま福岡市内を訪れた際にたまたま寄っただけなのですが、思いの外、歴史のある神社だったようです。 祭神にある綿津見という名前は、「ワタ」が海を表す古い日本語と言われ、更には南洋の言葉との類似性も指摘されており、個人的には興味深い名前であります。 なお、写真は友人と訪れた際に急ぎで撮影したものなので、雑さが否めませんが、その点はご了承を。表津宮跡や沖津宮なども撮影はしておりません。 |
祭神 | 中殿 底津綿津見神(相殿 玉依姫命) 佐殿 仲津綿津見神(相殿 神功皇后) 右殿 表津綿津見神(相殿 応神天皇) |
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社格等 | 式内社、官幣小社、別表神社 | |
創建 | 2世紀〜4世紀 | |
その他 | 地図 |
駐車場脇から参拝したため、明らかに一の鳥居とは違う入口から入りました。 | 時間がなかったので、しょうがないですかね。1人で来たのなら、じっくり見れたのですが。 |
山ノ神とある。 | 参道。普通に参拝するなら、正面から上って来ましょう。 |
歌碑 | 楼門が見えてきた。 |
神橋。小さいからか、崩壊の危機なのか足は踏み入れられない。 | ようこそ龍の都 志賀海神社へ |
しかし、参拝者は我々しかいなかった。時間が遅かったからかな。 | 手水舎 |
鹿のオブジェ。 | 拝殿 |
御潮井という清めの砂がある。 | 拝殿&本殿 |
鹿角堂。神功皇后が対馬で鹿狩りをして、その角を奉納したらしい。 | 遙拝所がある。 |
亀石遙拝所とある。説明書きは解読が面倒なので割愛。一部だけ頑張って読むと「遙拝所は右斜対岸の大嶽神社・小嶽神社と正面の伊勢の神宮、宮中三殿等を拝します。」と書いてあるように見える。亀の話については、神功皇后が三韓出兵の際に祈願をしたら、黄金の亀に乗った志賀明神と勝馬明神が出現したらしい。 | 確かに亀に見える。 |
柵が若干邪魔ですが、眺めは悪くない。 | 拝殿を正面にして左側。 |
う〜ん、何でしょう? | 逆光がひどいので、斜めから。今宮神社らしい。 |
ほとんど読み取れないが、松尾社と書いてあるらしい。 | 左から稲荷神社・秋葉神社・松尾社。時間省略のため、三社まとめて撮影。 |
これも何でしょう? | 磯清社と読める。 |
改修中 | 荒神社・祇園社 |
大神宮社・惣社 | 保存という文字が読み取れる。宝物館みたいなものか。 |
烏帽子石・陰陽石とある。 | さて、帰りますか。 |
志賀島風景
実は金印が発見された島に行こうということで来てみたのであった。 | 休暇村からの風景。 |
勝馬海水浴場 | 昼下がりなので泳いでいる人も少ない。 |