伊佐須美神社
所在地 | 福島県大沼郡会津美里町宮林甲4377 | 由緒については、現地看板から引用「伊佐須美神社の創祀起源は悠久二千有余年の昔第十代崇神天皇十年四道将軍派遣の時に始まり古事記には『東の方より遣けつる建沼河別、其の父大毘古と共に相津に往き遇ひ給ひき故れ其地を相津と謂ふ』と記録されている如く会津地名発生の伝承社であります。 即ち往き合い給うた時国家鎮護の為、国土開拓の祖神(諾・冉二神)を会津高嶺の聖地天津嶽(新潟県境)に鎮斎されたのが始まりと伝えております。その後博士山、明神岳を経て欽明天皇十三年(五五二)当地に御鎮座されたのであります。 その時大毘古命、建沼河別命二神も合祀奉斎されて以来千四百有余年、歴朝はもとより歴代藩候、別けても会津松平藩祖保科公以来格別の崇敬と庶民の崇敬殊の他篤く、延喜式内『名神大社』光格天皇宣下『伊佐須美大神宮』として崇められ、又戦前は国幣中社として官祭に預り御社殿の奉修、改築、社領、宝物等の寄進が相次ぎ会津開拓の祖神を祀る古大社にふさわしく、今尚広くあらゆる殖産興業を守護したもう御神威のもと衆民の崇敬は深く厚いものであります。」。 境内社は菅原神社・会津大国魂神社・殺生石稲荷神社の三社がある。管理人はあいにく会津大国魂神社の存在には気付かず、参拝はしておりません。 |
祭神 | 伊弉諾尊・伊弉冉尊・大毘古命・建沼河別命 | |
社格 | 陸奥国二宮・岩代国一宮・式内社・国幣中社・別表神社 | |
創建 | 崇神天皇10年(紀元前88年) | |
その他 | 地図・リンク |
正面鳥居 | 近くの出店(?)。「高田名物高田梅漬」「焼びっ栗くん」という物が売っているようだ。 |
祭神・由緒など。由緒については上記で引用しています。 | 各神社でよくある話ではあるが、神社の森は開拓前の姿を留めているため、貴重なものであるらしい。 |
社殿は2008年に火災により焼失したため、再建されるという。かつての出雲大社を思わせる荘厳な社殿を造るらしい。 | 西側 |
東側 | 社号標 |
さて、参拝しましょうか。 | |
宝物殿。御輿は国指定重要文化財らしい。 | |
菅原神社 | 社殿 |
この冬に飾られたばかりと思しき合格祈願絵馬がたくさん掛けられていました。 | 神牛 |
皇族下乗 | |
立派な楼門 | 手水舎 |
振り返る。 | 楼門を通っては行けないので、参拝する場合は脇から入りましょう。 |
屋久杉という字が見える。 | 楼門御造営竣工御礼 |
四道将軍の | 親子でしょうか? |
献酒 | そう言えば、会津は米と日本酒が有名ですよね。 |
神社名は分からず。交通安全を祈る神社のようだ。 | |
ここが入口か。 | 東神門でいいのかな。 |
楼門裏口。御社殿復興願文参拾万枚達成祈願とある。 | |
珍しいから是非見てくださいと言われたのだが | 何が珍しいんでしたっけ?角があることだっけ? |
仮の社務所なんだろうか。 | |
正面が仮社殿 | 薄墨桜。会津五桜の一つだそうです。 |
世の人の 心や深く染めらん うすずみ桜 あかぬ色香に 容保 | 授与所 |
国指定朱漆金銅装御輿・県指定木造狛犬の説明書き | 古そうな灯籠 |
西側へ。 | |
西門 | |
仮社殿 | 神社の樹叢 |
早く新しい社殿が出来ると良いですね。 | ネコ |
雪でこれ以上は進入できず。 | 参集殿 |
神社のすぐ近くにある殺生石神社稲荷。栃木県那須湯本温泉神社と関係があるようだ。 | |
拝殿かな。 | |
ミニ稲荷神社 | |
読めません。 | |
良い天気ですなぁ。 |