厳島神社(会津若松市)
所在地 | 福島県会津若松市一箕町八幡字辨天下甲1405 | 飯盛山の麓に鎮座する厳島神社。飯盛山と言えば、白虎隊士の墓、自刃の地、さざえ堂の方が有名でしょうかね。 由緒等については現地説明書きより引用「昔は宗像神社と称せられ、宗像三女神の一、市杵島姫命(弁財天)を祀り、芦名、伊達、蒲生、上杉、加藤氏等歴代藩主の時代から会津鎮護の神として崇敬を受けた。別の名を弁天堂と云い、この飯盛山を弁天山とも云った。社殿は永徳年間(590年前)に建立され、元禄13年(1、700)には三代藩主松平正容公が御神殿及び社地を寄進され、明治初期に厳島神社と改めた。」。 飯盛山の由来は、このサイトによると、「永徳/弘和年間(1381〜1383年)、多数の童女を従えて現れた美しい霊妃のお告げにより、豪族の石部・堂家・石塚の3家が社殿を建立、正宗寺の別当「宗像神社」が創建されました。社殿の建築中にも童女たちが現れ、人夫たちが小豆飯を振舞いましたが、いくら食べても減らなかったことから「飯盛」の地名ができたと言われている。」だそうです。 |
祭神 | 市杵島姫命 | |
社格等 | 郷社 | |
創建 | 永徳年間(1381〜1383年) | |
その他 | 地図 |
飯盛山です。丁字路手前に駐車場があるので、そこに停めると良いでしょう。 | 飯盛山は、明治戊辰の戦に、わずか16、7歳の少年達が、主君のために戦い力つき、ようやくこの地にたどりつき、そして自決した「白虎隊士」の自刃と墓地である。 |
会津白虎地蔵 | 参道。ただし、神社の参道は左の方に密かにある。 |
右が有料のエスカレーターで左が階段。エスカレータを利用してもらうために階段の除雪はしない模様。階段を利用すると本当に大変です!的なアナウンスが流れている。 | 白虎隊記念館。ちなみに、参道のお店に割引券が普通にある。 |
案内図。厳島神社は左です。 | 天然記念物太夫桜 |
桜です。 | 霊牛新堂。由来については割愛。 |
こちらが厳島神社の参道。道はあるのだが、滑って大変だった。 | 奥州會津飯盛山本参道 |
右は子育地蔵尊 | 弁財天ですかね? |
地蔵尊 | では、参拝しますか。 |
振り返る。 | 戸の口堰 |
手水屋 | 社殿 |
立ち入り禁止です。 | 右脇にある説明書きを上記で引用しています。 |
斜め。 | 奥には水神社があるのだが、進入出来ず。 |
その他史跡
ここからはおまけ。「天高し ピサの斜塔と さざえ堂」 | 白虎清水観音 | 由来書 |
ちらっ | これがさざえ堂 | |
入口 | 春ならば良いアングルとなるでしょう。 | 「忠孝両全」碑。長いので内容は割愛。 |
供養車。回すと白虎隊士の霊魂を慰められるらしい。 | 宇賀神堂 | 白虎隊19士の霊像が安置されています。 |
像が見えます。 | 辞世が記載されています。 | 稲荷大明神 |
水塚、花塚、茶筌塚 | エスカレーターで上るとこの付近まで来れます。 | |
更に上る。 | 自刃白虎隊19士の墓 | 会津藩殉難烈婦の碑 |
白虎隊士の墓 | さすがに参拝者が多い。 | 少年武士慰霊碑 |
松平容保公弔歌の碑 | お墓です。 | ずらりと並ぶ。 |
賽銭箱 | 観音像 | |
フォン・エッツ・ドルフ氏寄贈の碑 | ローマ市寄贈の碑 | 後方から。 |
飯沼貞雄翁の墓。自刃した藩士のうち、唯一蘇生した方です。 | ここに墓があるのでしょうか? | これより先に自刃の跡地があります。冬だと階段を上り下りするのが大変です。 |
ここです。 | 手を合わせましょう。 | |
自刃に至る経緯が書かれています。 | 眺めは良い。 | |
市街地が良く見えます。 | 帰り際 | 麓にあった自動販売機。白虎隊士が描かれている。 |