鹿島神宮
所在地 | 茨城県鹿嶋市宮中2306−1 | 管理人が内地に来て、初めて訪れた一宮。常陸国一宮であり、東国三社であり、式内社であり、旧官幣大社であり、創建も皇紀元年(紀元前660年)と、ともかく歴史と格を備えた神社であります。 主祭神は武甕槌大神であるが、本来は香島の天の大神であるという。藤原鎌足の祖先中臣神聞勝命がオホ氏と婚姻関係を結ぶことにより、オホ氏の氏神である武甕槌大神を大生神社から鹿島神宮に移したという。 本殿は北向きと珍しい方向を向いており、一般的には蝦夷を意識しているなど言われていますが、北辰信仰に由来するという説もあるようです。 |
祭神 | 武甕槌大神 | |
社格等 | 常陸国一宮、式内社、官幣大社、別表神社 | |
創建 | 皇紀元年(紀元前660年) | |
その他 | 地図・リンク |
鹿島神宮では今年平成26年に12年に1度の御船祭りが執り行われます。 | 表参道。今回訪れたのは2014年2月ですが、時間が悪いのか時期が悪いのかあまり人通りはない。賑わっている時はそれなりに人通りがあります。 |
周辺の飲食店で飲食すると駐車場代が無料ということを売りにしている店が多い。1枚目の写真近くに無料駐車場があることはどうやら公然の秘密のようだ。 | 鹿島神宮と言えば鹿です。 |
2014年現在大鳥居再建中。迂回して境内に入りましょう。 | 参考までに2010年5月時点での写真。その後、東日本大震災により倒壊してしまいました。 |
立派ですな。 | 2014年に訪れたらいつの間にか出来ていた茶屋。 |
境内は人が多い。 | 高額奉納者をチェックするのも面白いものです。 |
楼門が見えてきました。 | その前に脇道へ。楼門を前にして右に行くとある稲荷神社。 |
なかなか渋い顔をしています。 | |
次は楼門を前にして左側へ。 | |
摂社遙拝所が2箇所、末社が4社あります。 | |
摂社熊野社 | 摂社祝詞社 |
津東西社。元は北浦の側にあり、港を守る神を祀っているとのこと。 | 須賀社 |
摂社沼尾神社・坂戸神社の遙拝所。鹿島神宮を含めた三社は南北に一直線に並んでいると言われている。もっとも、地図で見た限り、沼尾神社と坂戸神社は綺麗に南北一直線上にあるように見えるが、鹿島神宮は少し東に逸れているように見える。地図を見る限りは、神野にある跡宮とならば三社合わせて一直線上に並ぶように見える。もっとも、神宮の大鳥居から見たら一直線と指摘している人もいる。 | 上空写真 |
再び戻り、手水舎です。 | 1634年に奉納されたという楼門。国指定重要文化財です。 |
献酒者リストを見るのもまた楽しかったりする。 | 潮来にある愛友酒造が作っている「神の池」 。ホームページ上に情報が見当たらなく、どうやら鹿島神宮限定販売しているとか。神の池とは、神栖市にある神之池のことでしょう。 |
楼門を抜けます。 | 社務所 |
奥に拝殿が見える。 | 杉 |
絵馬掛け | 芭蕉句碑だそうです。「名月や 鶴脛高き 遠干潟」 |
結構繁盛しています。 | おみくじが何種類もあります。 |
鹿島アントラーズメンバーによる必勝祈願。 | 拝殿と本殿。 |
祭神である武甕槌大神の説明書き。 | 拝殿正面。さすがに参拝者が多くて人がいない状態では撮れなかった。 |
「左方大頭明石郷祭頭祭 大豊御竹」と書いてある。3月9日に行われる祭頭祭におけるシンボルらしい。 | |
本殿まではこれ以上進めません。 | 本殿以外にも建物がありますね。 |
日本最古最大の直刀です。国宝のようです。この写真を撮った日だったかは忘れたが、見ようと思ったら別の博物館に出展中でここにはないと言われたことがある。 | |
御船祭で船頭に備え付けられる龍。 | 拝殿左側。ここにも右側と同じような建物が。 |
ここからは別の日撮影分。たまたま結婚式が行われていました。 | 新郎新婦が拝殿へ向かう。 |
その日撮影の拝殿正面。こっちの方が見た目は映えているかな。 | 摂社高房社。祭神は建葉槌神で常陸国二宮である静神社の祭神である。本社参拝の前に詣でるのが古例であるという。しかし、そのような手順で参拝している人はほとんどいない予感。 |
仮殿。摂社・末社等の御分霊が祀られている。 | 進入してよいものなのか。 |
反対方向へ回る。 | これは何だったっけか。 |
社務所脇を通ると工事中。祈祷殿と社務所を建てているらしい。 | 奥に進むと実はまだ神社がある。 |
末社御厨社 | |
御厨社 | 所管社祖霊社 |
本来は正面から進んでくるのが正しいのだろうが、御厨社から来ると先に拝殿に来てしまう。 | |
手水舎 | 祖霊社の鳥居 |
弓道場 | 再び参道に戻ってくる。古札納め所。 |
ここから先に奥宮や要石などがある。 | |
境内案内図。鹿島七不思議についても書かれています。 | いつ来ても清々しい気持ちになる路です。 |
天然記念物鹿島神宮の森について | |
1619年に奉納されたという石灯籠 | |
鹿島神宮と言えば塚原卜伝という人も多い。撮影ロケ地だという。 | この看板は六つあるようです。管理人は四つしか見ていませんが。 |
さざれ石 | 結構いろんな神社にある気がする。 |
さざれ石と言えば君が代の歌詞に出てきますな。 | 鹿園 |
祭神である武甕槌大神に天照大神が命令を使わしたのが天迦久神という神でそれが鹿の神霊とされていることから、鹿島神宮の使いは鹿だという。 | |
脇にはひっそりと石碑などがある。 | 親鸞上人旧跡。かつて鹿園の側には神宮寺跡があったようだ。親鸞上人は度々鹿島神宮を訪れていたという。 |
再び参道へ。 | 境内の自然環境の素晴らしさが語られています。 |
末社熱田社 | 鹿島八景 鹿島山の晴嵐 |
ここからは流鏑馬が行われた時の写真。2010年に撮影したものです。 | 流鏑馬が行われているのを知らずに来たのですが、大変良いものが見れました。 |
さすがにぶれずに撮るのは難しかった。 | |
奥宮 | 茶房 |
奥宮です。 | 逆光を避けて撮影するとどうも暗く写ってしまうな。 |
元は本宮の社殿だったが、1619年に徳川秀忠によってこちらに移されたという。 | 後方から。 |
2013年5月撮影時の分。人がいないタイミングでは撮れなかった。 | 奥に何やら石でも祀られているのだろうか。 |
奥宮から要石へ。 | いつも気になるのだが、誰なんでしょう?裏でも見れば説明書きでもあるのだろうか。 |
下津海岸方面だったはず。 | 要石方面 |
要石です。 | 芭蕉句碑。「枯枝に 鴉のとまりけり 穐の暮」 |
薄くて何が書いてあるかは読めず。 | |
要石の説明書き。以下の話はこの説明書きに載っていること以外も書いています。 この要石は地下にいる鯰の頭を押さえつけているという伝承がある。この鯰が暴れるときに地震が起きるのだという。 また、本殿後方にある鏡石と要石は正確に東西線上に並んでいるし、香取神宮の要石と鹿島神宮の要石は正確に東北線上に並んでいるという。 |
|
要石です。七日七夜掘っても、掘りきれなかったという。 | 茶屋に戻ってきました。 |
境内は句碑が多い。 | |
御手洗池へ。 | |
茶屋 | 御手洗池です。 |
大人が入っても子供が入っても水位が乳を越えないという鹿島七不思議の一つである御手洗池。禊ぎのための池であります。 | |
2014年2月現在土砂崩れによりこれ以上は進入禁止。 | 今まで訪れた時よりも濁っているように見えます。 |
確かに土砂崩れを起こしています。 | そんなわけで、2013年5月撮影分。 |
やはり水が澄んでいるのが本来の姿。 | |
ここから水が流れ出る。 | |
「涼しさや 神代のま々の 水の色」 | |
「みそぎせし 人は帰りて ぬばたまの よいにふりくる 御手洗の雨」千枝子 | 所管社大國社 |
裏参道と言うのでしょうか。 | |
お地蔵さん。いろいろと着飾っています。 | う〜ん、何でしょう? |
空と木々の色に冬らしさを感じます。 | 池 |
ここからはまたまた2013年5月撮影分。 | 藤の花の季節です。 |
こっちの方が冬よりは緑が眩しいですな。 | |
ここからは神宮周辺の神社紹介 | りゅう(雨冠+龍)神社。祭神は高おかみの(雨冠+龍)神と闇おかみの(雨冠+龍)神という竜神で大町区の鎮守社となっているという。 |
稲生神社 | |