グスク
集落に三つある墓地(うち東側の墓地二つは一見合体しているが)のうち一番東側の墓地をグスクバカという。山川石で出来た墓が多いという。 「請島ノート」によると、この墓は後から島に入ってきた家が多いという。「奄美加計呂間のノロ祭祀」によると、グスクからミャー(公民館)へ続く道をグスク道と呼ぶことから、かつてはこの辺りをグスクと呼んでいたことが知られるという。 何となくではあるが、グスクと呼ばれる墓がある場合は、古い墓が多いように思われるが、ここに関しては上述のように新しい墓が多いそうである。管理人としてはある地点をグスクと呼ぶ場合は、先にグスクと呼ばれる墓があり、その後、周辺もグスクと呼ばれるパターンが多いと考えているが、新しい墓が多いとなると今までの考えと整理がつかないように思われます。今後の検討課題とします。 なお、池地でグスクと呼ばれる場所は、集落の南東側の山腹にグスクバテという畑もある。 |
グスク入口。右側はゲートボール場。 | この一角の手前側の墓をグスクと呼ぶ。 |
グスクの横にある道をグスク道という。 | |
広場みたいになっています。 | この先がミャーのある公民館。 |
公民館が見えてきました。 | 公民館側から見たグスク道。 |