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平家森

 
 現地の看板から引用すると、「文治元年(1185年)壇の浦の戦いに敗れた平家一族は建仁二年(1202年)志戸桶沖名泊に上陸し志戸桶と佐手久の間にある増花田に居城を構えた(七城と称した)ときに島の東部入口(早町港)からの敵の来襲に備え、ここに要塞を築き七城とともに政守警備の重要な拠点としたところです。背後の丘には平家一族の錬式の跡もあります。」 。
 伝承によると、昔からフェイケムイと呼ばれ、島民を動員し造られたとも伝わるようです。
 人によっては、大和は北にあるし、喜界島より東に島はないのに城を築く必要があるのかと思うかも知れませんが、伝説では源為朝は伊豆から喜界島に来てることから、東側を見張るというのも間違いではないように思われます。
 なお、城跡ではありますが、グスクではありません。
 表記について、鹿児島県埋蔵文化財情報データベースでは平家盛と記載されていますが、その他の文献では平家森という表記が多いので、後者に従います。森とあるが、南西諸島では山のことをモリと呼ぶことが多いので(しかも聖地であることが多い)、元来は山という意味なのであろう。


   
平家森の下方にある井戸。神の水は・・・と書いてるのが見える。 ピンぼけだ。現在は涸れているのだろうか。
   
内容については上記説明参照。管理人が少し写っちゃっていますね。 では上りましょう。ものの2分程で着きます。
   
なお、この登り口は平家森の南側にあります。 道が広くて歩きやすい。 
   
到着 草ボーボー 
   
一応東屋がある。 招魂碑 
   
まぁ森ですね。 頂上部が平坦なのはやはり城跡ということを示唆するか。 
   
西側にも降り口があります。  
   
   
   
  確か、下りていったら、先ほどの登り口の西側に出たはず。