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雁股の泉

 
 保元の乱(1156年)で敗れた源為朝は伊豆大島に流され、1165年(永万元年)琉球に渡ろうとした途中にしけにあい潮流に乗って喜界島の沖合にたどりついたとき、船上から島をめがけて雁股の矢を放ち、上陸の後その矢を抜いた痕より清水が湧き出た。その泉を雁股の泉といいます。 
 源為朝が矢を放った場所から泉が湧いたという話は鎌倉にもあったりします。むしろ、そっちの方が圧倒的に有名ですが。
 南西諸島に数ある源為朝伝説や平家伝説に関しては否定する人も多いですが、管理人としてはこれだけの伝承が地元で語り継がれているから真実ではないかなとも思っています。喜界島は源氏・平家の伝説が二つあり、内地で争った両勢力がこんな京都から遠く離れた喜界島で交わっているというのも不思議な話です。源為朝は島の北西部である小野津に辿り着き、平家一族は島の北東部である志戸桶に辿り着いたというのも何か感じるところがあります。
 ちなみに、又聞きになりますが、海保の人に聞いたところ、伊豆から南西諸島へと連なる海流は確かにあるらしい。


   
  看板の前より撮影。左にはバス停があります。
   
  小野昌雄氏御夫妻追慕碑。小野津出身の人であり、大阪にて船員となった後、島出身者を多数受け入れて面倒を見た人とのこと。
   
看板の内容は上記説明にて引用。  
   
泉です。 ちょっと濁ってますけどね。 
   
こちらは割と清らか。 水が確かに湧き出していた。集落の貴重な水源となったのであろう。 
   
   
   
  階段を上れば集落が望めます。