ハイヌミカゼHome喜界島

僧俊寛の墓

 
 後白河法皇の側近であった俊寛は、平家への謀反を企てたために、鬼界ヶ島へ島流しになったと言われる。それがこの喜界島であると地元では古くから言い伝えられている。もっとも、同じ話は鹿児島県硫黄島や長崎県伊王島にも伝わっており、それぞれの島に俊寛の墓がある。鬼界ヶ島は喜界島であると信じるも信じないも自由です。もっとも、福寛美によると、文学研究者の間では硫黄島に流されたというのが定説っぽい。やはり平家物語によると、俊寛が流されたキカイガシマには硫黄が産出するというのが決め手となるのか。
 墓の周辺は昔から坊主前と呼ばれていたという。喜界町は以前にこの墓を発掘した結果、身分の高いと思われる人骨が発見され、一緒に埋葬されていた木棺は木曽地方に算するクロベ材だという。たとえ、俊寛でなくても高貴な者であったことは間違いなさそうである。


     
俊寛の墓は中里にあります。   像とお墓 
     
俊寛の像 上記のようなことが書かれています。 周辺は墓地となっている。 
     
これが俊寛の墓