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金萬神社

 
 桃原の公民館の隣にある神社。沖縄にはよくカネマンと名が付く御嶽や神社が多いが、鍛冶屋と関係があると言われている。「沖縄の拝所300」によると、カニマン小(グヮー)とも呼ばれているとのこと。隣の集落の奥間のマク名(古い時代の集落名)もカネマンであり、桃原集落東にあるアダン山もガヂマングスクと呼ばれるので、何やら複雑に絡み合っている。なお、桃原は15世紀に出来た新しい集落だからかマク名はない。
 歴史を遡ると、奥間鍛冶屋や金丸(尚円王)とも関連があるとのことである。更に時代を遡ると、奥間大親の子供は察度王と伝えられているので、琉球王朝の2人の王と関係がある場所ということになる。
 金萬神社自体の直接の由来は奥間鍛冶屋の次男の屋敷跡だという。詳しくは上述「沖縄の拝所300」や「国頭村史」などを参照。
 神社は正確な方向は分からないが、南方を向いていた。開拓の地であるアダン山(ガヂマングスク)を向いてないのが不思議であるが、「神と村」によると、ガヂマングスクは拝所としての機能はないようなので、それと関係があるのかも知れない。あるいは桃原集落は元は奥間の一部だったようなので、元の集落の方を向いているだけなのかも。


   
神社は最近再建されたかのように綺麗な感じであった。以前訪れた際は集落の方達が皆で掃除をしていて、大切にされている感じがした。  シーサー。平成らしさを何となく感じる。 
   
いつから神社と呼ばれているのだろうか?沖縄の拝所のうち内地では神社と似た機能を果たす場所であっても、本来は沖縄では神社とは呼びません。 隣にはアサギがあった。比較的新しい集落はアサギがないイメージであったが、ここはあるようだ。とは言っても、15世紀に出来た集落を新しいというのもおかしいかも知れない。
   
隣は公民館ですが、周辺は丁度良い広場となっていました。