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奥間グスク

 
 奥間小学校の裏手(東側)にある山のことを奥間グスクと呼ぶ。「ぐすく」によると、別名見里森グスクだそうだ。更なる別名として、アマングシクともいう。アマ族と関係がありそうではある。なお、旧見里村は現大宜味村田嘉里であり、何故奥間にあるグスクにそういう名がついているのかはイマイチ不明である。見里とは新しい集落という意味だからたまたま同名なだけだろうか。
 土より成るグスクとして當眞嗣一の文献にて詳しく紹介されている。
 頂上部には2つの御殿があり、南の御殿は若ノロが、北の御殿はノロが司るとのこと。奥間・浜・比地・桃原の共同拝所であり、北の御殿はアマングシクと呼ばれているようである。
 グスクには石垣どころか、遺物もないようである。性格は御嶽であろうが、遺物は発見されていないようだ。ただし、上記當眞の文献によると、かつての集落跡になるという。
 なお、奥間グスクは「角川日本地名大辞典沖縄」のグスク分布表には載っていない。仲松弥秀が探訪したときはここはグスクとは認識されてなかったのだろうか?


   
グスク内への入口。 訪れたのは2月でしたが、脇ではノウゼンカズラが咲いてました。
   
入口前の道。小学校のグラウンドが見えます。 グスクの南側の道から。反対側には数軒民家があるだけで入口はありません。
   
入口から少し登った所。石垣はあるが、最近のものに見える。 中腹の平坦部には殿らしきものが。「ぐすく」によると、土帝君だとのこと。「国頭村史」に奥間の土帝君(トーチーク)の話も載っています。何でも沖縄には17体しかないそうです。由来は不明だが、旧暦2月2日は土地爺の誕生日であり例祭が行われるとのこと。
   
単に邪魔のような芸術的なような木の幹。 頂上への道。滑りやすいので行く方は注意しましょう。 
   
頂上までは確かに石垣もなければ墓もありません。 頂上の平坦部。サンゴ石がぽつんと配置され、不思議な感じです。これがイビってことでしょうか?
   
左側(北側)のサンゴ石。 1952年竣工とあります。こちらが北の御殿(アマングシク)かな。
   
もう1つのサンゴ石。 どのような意味があるのだろうか? 
   
多分こちらが南の御殿。背を向けて立ってます。 どっちの御殿も同じ方向を向いているっぽい。どこかに向かって遙拝するための場所なんだろうか?