上グスク(根謝銘グスク)
上グスクは田嘉里にあるグスクです。所在地自体は田嘉里ですが、歴史的経緯としては謝名城集落と関連が深いグスクです。別名根謝銘グスクとも呼ばれますが、謝名城集落となる前の城・根謝銘・一名代の三つの集落のうち城村にあります。「琉球国由来記」には城村の御嶽として「小城嶽」神名「大ツカサナヌシ」が出てくるが、恐らく現在の上グスクを指すのではないかと思います。 文献や地図によっては、字名としてではなく、グスク名として、謝名城と呼ばれることもあります。しかし、謝名城という呼び名自体、明治になって三つの村が合併してできた名前であるし、地元ではそう呼称されていないので、管理人としては相応しくないと思っています。もっとも、そう呼んでる方はグスク研究の第一人者ですので、文句を言うのも憚られますが。 通常は、ここら辺一帯の拝所・墓・井戸等をまとめて上グスクと呼んでいますが、正確には上グスクとは森を指すようです。そして、ウフグスク(大城)・ナカグスク(中城)という拝所がそれぞれあることになります。 「ぐすく」によると、大宜味按司の居城跡という伝承があるそうだが、「国頭村史」は、国頭按司の居城跡と推測している。 「沖縄国頭の村落(上)」によると、ナカグスクとウフグスクには人骨があったという。そして、ナカグスクにあった骨を集めたのがアジバカという。大宜味のグスクの中では唯一、グスクの由来は墓であることを示す場所である。 グスク内の主要拝所は大体巡りましたが、堀切は道が険しく、按司ガーは道が分からず行ってません。 |
グスク入口にある看板。分かりやすくて助かります。 | 中川。ナハガーと読む。今でも水はあるみたい。 | 蔵庭。豊年踊りを奉納する場所だそうです。周囲は普通に民家があります。 |
祝女殿内です。 | 主要拝所には石標があって助かります。 | 正面から。 |
殿内の敷地内にある香炉など。 | 祝女殿内の北東の道沿いには根ガーがあるようなのですが、見つからず。上記看板の地図ではここら辺のはずだが・・・。 | 火の神です。上記看板にはウドウンニーズ・トウンチニーズと書いてある。神名かなんか?御殿と殿内は分かるが、ニーズは何でしょうか? |
仲庭です。あまり広くはありません。祝女の馬をつないだ場所で、ここでウムイを歌うそうです。 | グスク内の道。ハブが出てもおかしくない。 | ビジルです。漢字にすると霊石な通り、自然石を神体として祀るのです。たくさん石はあるが、どれ何だか?それとも全部でしょうか? |
神アサギへの道。 | 人為的なのか自然なのかは分かりませんが、岩場や石が大量にあります。 | 神アサギ |
神アサギから北へ行くと大城御嶽があります。 | この広場が大城御嶽となります。 | ここがイビがある場所となるのだろうか? |
石標があります。「沖縄国頭の村落(上)」によると、大城御嶽にヒジャイナー(左縄)を張るのは田嘉里部落の役割らしい。写真にある縄のことでしょうか? | グスク名がつくように、人骨があったという。 | 御嶽裏側も拝所となっています。ちなみに、御嶽後方には骨坂(クチバー)という場所があるらしい。そこに人骨が埋められているのかな。 |
近くにある馬浴ガー。もう枯れているみたい。 | 再び神アサギに戻る。ここが神アサギ庭です。 | 地頭火の神 |
ここら一帯が中城御嶽。 | 香炉かな。 | 中城御嶽にヒジャイナーを張るのは謝名城部落とのこと。 |
ここが中心部となるのかな?中城御嶽にもかつて人骨があったという。 | 上城ガー。このグスク名がついたカーです。 | 後方樹の下がカーのようだ。 |
もう枯れてそう。 | 上城ガー後方。ここを進むと堀切へと行けるはず。 | しかし、道が険しすぎて途中で断念。どっかの学者だか研究員が堀切まで行ったという記事を見たことあるのですが、どうやって行ったんだか。 |
夫婦ガー。枯れているように見えます。 | 按司墓への道。 | 見えてきました。 |
按司墓というが、伝承では中城御嶽にあった骨を集めた場所だという。もっとも、後から按司の骨も納められたかも知れません。 | 崖沿いに道があります。 | 何気なく登った道の先は単なる畑でした。特に拝所はなさそう。 |
ウドンガーへの道。 | ウドンガーです。夫婦ガーと同じく二つあります。こちらは枯れているように見える。 | こっちは水があった気がする。 |
二つまとめて撮影。 | 集落内にある下川。これも枯れてそう。 | フシキンチヂ森。拝所なのかはよく分かりません。意味もあまり分かりません。チヂは頂という意味だと思いますが。 |
上ってみる。 | 一見何かありそうで、何も発見できず。奥に行ったら民家がありました。 | 田嘉里方面から見た上グスク。 |