柞原八幡宮
所在地 | 大分県大分市大字八幡上八幡987番地 | 由緒については、現地看板より引用「当宮は、平安時代の天長4年(827)に宇佐神宮より御分霊を勧請し、承和3年(836)国司により、社殿を造営。爾来、皇室も厚く尊祟せられた。 嘉承(1,108)には、勅使の参向があり、敷地の四至を定め税を免ぜられた。仁平3年(1,153)には、鳥羽法皇が60歳の御賀に御祈願を修せられ、神領を定められた。 元暦元年(1,184)には、源範頼が平氏の追討を祈願したのをはじめ、源頼朝、領主(大友、竹中、日根野)、武家の崇敬も非常に厚く、近世には、社家二百余、坊舎三十を数えた。御本殿は、嘉永3年(1,850)に再建された壮麗な八幡造り。参道途中に建つ南大門は、「日暮門(ひぐらしもん)」と称し、壁面には二十四孝等の彫刻が施され、門の横には樹齢三千年の天然記念物の大楠が聳えている。 宝物館には、太刀、甲冑、金銅仏等重文六点他を所蔵。」(数字は一部漢数字から算用数字にしています。)。 豊後国一宮を称しているが、同じく一宮を称する西寒多神社と論争があったようだ。明治時代の社格では西寒多神社の方が国幣中社と高い。何故か、式内社ではないようだ。仏教の要素が強かったのでしょうか? 創建は830年という説明もちらほらあり、神社内に設置した説明書きでもそう読み取れる記載もありますが、由緒略記には827年とあるので、当ページではそちらを採用しています。 住所については小字も入れた表記にしています。 参拝したのは西寒多神社と同じく2016年11月23日。ゆっくり見たかったのですが、到着時が既に飛行機の出発時間2時間前という切羽詰まった状況でした。駆け足で見て、何とか帰りに間に合いました。 |
祭神 | 仲哀天皇(帯中日子命)・応神天皇(誉田別命)・神功皇后(息長帯比女命) | |
社格等 | 豊後国一宮・国幣小社・別表神社 | |
創建 | 天長4年(西暦827年) | |
その他 | リンク・地図 |
参道。鳥居ではないようだ。 | 上八幡付近案内図 |
バス停 | 由緒については上記で引用したとおり。 |
手水舎 | 風情がありますね。 |
御神木でしょうか。 | |
何となく | 仏教的な感じ |
柞原八幡宮の天然記念物。クスが国指定で森が市指定とのこと。 | |
クスです。 | クスです。 |
南大門。日暮し門とも呼ばれる。 | 彫刻が見応えあります。 |
反対側 | 参道が2つに分かれるのは珍しい。 |
左側の参道 | 二葉山稲荷神社 |
時間がなかったのでここまで。 | |
途中で右の参道へ。 | 楼門です。 |
少しだけ紅葉が見える。 | 右側の参道を見下ろす。 |
左側の参道。 | 由緒等 |
宝物館 | 社務所 |
手水舎かな。 | |
西門 | 右が申殿 |
西宝殿 | 右から拝殿、申殿、本殿 |
授与所 | 太鼓です。 |
だそうです。 | 拝殿へは横から入ります。 |
東側 | 拝殿。さすがに正面からは撮りにくかった。 |
東回廊から撮影 | 東宝殿 |
献酒 | 東回廊からの眺め |
同じく | 駐車場と神社の間にあります。如来像のようだ。 |