名嘉真
名嘉真集落は、恩納村最北の字にある集落になります。なお、伊武部集落も字としては名嘉真になります。 名嘉真と書いて「なかま」と読むが、沖縄では仲間という表記の地名の方が多い。語源は不明。 集落は大島・新島・浜の三つからなる。そのうち、大島がいわゆる古島になる。 集落の拝所は、「沖縄国頭の村落(下)」によると、①古い墓地②墓地③ハーマヌカー④ウタキ⑤ニガミヤー⑥アサギ⑦ヌルヤー⑧ムラガーがある。 「琉球国由来記」によると、「トマリガシラ嶽 神名 アフスシヅカサ」、「カワイフ嶽 神名 アフテヅカサ」、「マナツジ嶽 神名 マカサノイベヅカサ」という御嶽がある。そのうち④ウタキがマナツジ嶽になります。 「恩納村誌」によると、マナツジ嶽の岩穴には神骨があるという。トマリガシラ嶽は、部落東側の山地の独立山丘の頂上部にあり、ニライカナイに対する遙拝嶽ではないかという。カワイフ嶽は、大島の南部にある森の中にある御嶽だが、現在は耕地化され痕跡すら残っていないという。 「恩納村博物館紀要第3号」によると、村内原には名嘉真古島遺跡があり、そこでは青磁や貝塚時代後期に属すると考えられる土器片が採集されるという。 名嘉真のビーチについては別ページ参照。 |
58号線沿い風景。2008年ぐらいまでは大きいナツメヤシの木があったんですがね。 | 公民館 | 先にあるのが④ウタキになります。 |
名嘉真農村公園 | 歌碑があります。 | 仲間節の碑。こっちは名嘉真ではなく、仲間なんですね。 |
「仲間からかいとて 久志辺野古までも 金武の 御前がなし おかけ親島」 | 歌碑の解説が載っています。歌の意味は「仲間から久志辺野古にかけて金武の御前がなしのご領地で、まことに広大なものだ」とのこと。御前がなしとは大金武王子こと尚久のことだそうです。 | 集落の南側には拝所がたくさんあります。 |
これも拝所でしょうね。 | 集落南端。ここから先が古島になります。右側に更に拝所が固まっています。 | |
位置的に⑦ヌルヤーかな? | 井戸。⑧ムラガーでしょうか? | |
⑥アサギです。 | 地頭火神です。 | |
これも拝所ですな。 | ④ウタキです。 | |
眞那津地嶽と書いてあります。 | 御嶽前の風景。トマリガシラ嶽は右側後方にあるようです。 | 中は見えません。 |
石碑があります。神名は眞嘉佐威部司・青筋司・青手司と書いてあります。「琉球国由来記」によると、マナツジ嶽の神名はマカサノイベヅカサで、青筋司・青手司はトマリガシラ嶽の神名アフスシヅカサ、カワイフ嶽の神名アフテヅカサに当たります。どうやら100年程前に合祀されたようです。 | 脇には香炉があります。 | |
再び集落風景。恩納村の中では大きい方です。 | 以前は集落内の58号線沿いに立っていたと思われるナツメヤシ。集落の端っこに移植された模様。 | 別の日撮影。1枚目と違いはありませんが。 |