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塩屋

 
 塩屋は大字真栄田にある集落です。大字名としては真栄田になりますが、「恩納村誌」「沖縄国頭の村落(下)」では塩屋として紹介されてますし、恩納村のホームページでも塩屋は独立して扱われていますので、当サイトでも真栄田集落とは別に紹介します(もっとも、戦前は真栄田村の一部だったようだが)。 
 塩屋という集落名は沖縄でも時折見られるように、製塩と関わる地名と言われます。その証左として、塩焼原という地名があるのと、浜辺から塩炊釜と思われる大きな土鍋が二つ出土したことが挙げられる。
 集落は塩屋以外にも美留と冨里原がある。「恩納村誌」によると、美留の後背地にあるダチンダ原に古代墓があること、冨里原という集落があったことを示す地名があること、按司墓があること、おもろや琉球国由来記にヒル(比留)という名前が出てくることから美留に古代集落があったという。そして、美留から与久田に集落が一旦移転したという。以上のことと、塩屋の集落内御嶽がかつては与久田方面を向いていたこと、塩屋集落の過半を占める宮平門中が与久田にある火の神や上述按司墓を拝していたことから、塩屋集落はかつて与久田から移動してきたことが分かるという。
 なお、現在の美留・冨里原の集落は明治頃に出来たものである。また、与久田は現在、宇加地集落の一部である。
 集落の聖地は、「沖縄国頭の村落(下)」によると、①神アサギ②宮平門中のヌールヤー③1ヶ字のヌールヤー④ウガンジュ⑤島守之嶽⑥サンガチャーモー⑦ガナグシク⑧塩焼原⑨ウブガー⑩アガリウカー⑪クニヒヌカン⑫イリウカー⑬ソーウチジンジャがある。なお、⑦ガナグシクは真栄田集落でも挙げられている(真栄田の項目ではガナグスクと表記されている)。
 「恩納村博物館紀要第3号」によると、塩屋原に貝塚時代後期の遺跡である塩屋貝塚があり、土器片などが採集されるという。また、美留にも貝塚時代後期の遺跡である美留貝塚があり、くびれ平底の土器が採集されたという。

塩屋

     
集落中心部 目立ったので撮影  港は結構大きいです。 
     
慰霊碑 どこにあったのか失念したが、塩屋区民で建立したとあるので、確か塩屋にあったと思う。  港からの風景 
     
残波岬が遠くに見えます。 撮影したのが冬なので微妙な風景ですが、夏ならもっと綺麗だったでしょう。  よく見ると、船の通り道が見えます。 
     
  別の日の干潮時に撮影。 目印があります。満潮時にこの海の道以外を通ると船の大きさによっては座礁しそう。

美留

     
美留集落中心部(ってほどでもないけど)。 目立つアパートがあるが、米軍の家族が借りているようだ。キャンプトリイ辺りの兵士でしょうかね?  親鸞聖人の像。手持ちの文献では特に触れられている箇所を見つけられないのですが、親鸞聖人が沖縄に来たという伝説があるそうな。
     
見ての通りの警告。 鐘もあります。  夏なら良かったですかね。 

富里原

     
富里原です。この写真には載ってませんが、美留や富里原は道路沿いに花が咲いてたりしてなかなか華やかだったりします。 一応ここら辺に家があります。左に見えるのはガソリンスタンド。