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東仲間

 東仲間は、内海の奥、川内川の西側にある集落になります。一見、川沿いの西側にあるのに東とつくのはタカバチ山を挟んで西側に西仲間があるからです。
 仲間という地名は、南西諸島ではよく見かける地名になります。語源については、意外に見た記憶がないのですが、真ん中にある場所とかそういった意味だと思われます。
 集落の史跡は鹿児島県埋蔵文化財情報データベースを見ても特に見当たらない。グスクの話も聞かないし、そこまで古くない集落なのだろうか?


公民館 公民館周辺風景  左記に同じ。 
 
販売所とある。 三太郎峠の由来碑。内容については以下のとおり「明治二十年(1887)に当時の須垂方と住用方を結ぶ峠越えの新道が計画され、明治三十二年(1889)には川辺町(南九州市)出身の農業指導員、畠中三太郎がこの峠に茶屋を建てた。
民俗学者の柳田國男は大正九年(1920)にこの峠を訪れ『海南小記』に次のように記している。「三十年前に内地人の夫婦が、この峠に茶屋を建てて付近の林を開墾し始めた。肥後から薩摩に超える三太郎峠とは違って、これは爺の名にもとづいて、三太郎坂と呼ぶようになったのである。それほど世に聞こえた三太郎ではあったが、彼にも相談せず世の中は変った。」
人々が永く生活道路として歩いたこの峠は、歴史の道として今に残る。
 平成二十一年(2009)十二月吉日 クぃンムン村」。
東仲間登口とあるように山を越えた反対側には神屋登口がある。
   
さすがに登るのはパスで。 バス停  珍しくスペースが余った。