イギリス坂
石碑より引用しますと「文政7年(1824)7月8日徳川幕府の鎖国体制下にイギリス船数隻が宝島沖合に停泊し、多数の船員が艀に乗り前籠港に上陸して在藩官屯所を訪れ同港近くの牧場の牛と交易を願い出たが交易は不成立に終わり、その為船員等は数名一組となって牧場の牛一頭を射殺する外数頭の牛を強奪し、他の一組は在藩官屯所に向けて鳥銃を乱発する行動に出たので、当時藩庁より出張中の吉村九助がこれに応戦して、内一人を射殺したと云う。地元では、この一連の事件を通じて応戦現場を中心にイギリス坂と称している。徳川幕府は、宝島の事件を重視し翌年二月に異国船打払令を発令して一段と鎖国体制を強化したことが証明されている。十島村に於ては、今般村誌を創刊するに当り記念事業として石碑を建設し、その由来と歴史的重みを後世に伝えるものである。」 |
ここら辺一帯がイギリス坂です。まぁ、普通の坂ですが。 | 左の写真より少し登った所。 | 見下ろしてみる。 |
道路脇に石碑があります。 | 石碑の内容は上記で引用した通り。 | 水準点もあります。 |