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池地

 
 池地集落は、請島の西側にある集落になります。集落は四区に分かれ、郵便局の隣にある池地川を境にして、西側がオーコーバリと呼ばれ一区・二区となり、東側がアガンマバラと呼ばれ三区・四区となる。一区・二区それぞれの範囲は不明。三区の範囲もよく分かりませんが、四区は学校周辺を指すようだ。
 集落の人口は、平成19年の時点では83人で、請阿室より僅かに多い程度である。
 集落の家々のルーツは、「請島ノート」によると、宇検や住用の市から移り住んだのが多いとのこと。 
 「奄美加計呂間島のノロ祭祀」で紹介されているものは、①ノロモリ②ノロモンノハタケ③モリヤマ④コウエン⑤イジブ⑥チュモトクバ⑦ワンギョ⑧公民館⑨ミャー⑩ノロ屋敷⑪グジ屋敷⑫テラ屋敷⑬渡文一郎家⑭生島為栄家⑮墓地⑯墓地⑰墓地⑱ウシノコウ⑲グスク道⑳オーコーバリ㉑アガンマバラがある。
 ⑮~⑰は全部墓地であるが、⑮はグスクバカ、⑯ナハノハカ(中の墓)、⑰はクラッシャノハカ(倉下の墓)となる。
 上記のうち、⑮⑲は別ページで紹介します。
 写真はオーコーバリ地区とアガンマバラ地区に分けて紹介します。

オーコーバリ

     
公民館。最近作られたものらしい。   土俵。かつてはここら辺にミャーがあり、土俵の北東側にアシャゲらしきものがあったという。 
     
碑が複数ある。 戦没者慰霊銘碑。名字を見ると、離島の集落の割に様々あるように思われる。 37柱が祀られているそうだ。 
     
彌彦吉翁頌徳碑。戦没者の慰霊のために森山に公園を築き忠魂碑を建立し、集落民の指導者となったことの功績を称えて建立されたとのこと。 先間開拓団遭難之碑。昭和27年3月15日に計良治岬の荒波に少女達が呑まれたという集落最大の海難事故を弔うために建立されたとのこと。名前を見ると5人が死亡したようです。  公民館の西側より撮影。左側にヤギが飼われています。
     
ヤギです。食用?    
     
墓地の前にあるゲートボール場。時間によっては集落の老人が何人も集まって戯れていました。 消防器具格納庫 集落を東西に延びる道路。手前は⑮⑯の墓地、奥が⑰の墓地になる。
     
⑰の墓地。 左記に同じ ⑰にあったものかは忘れましたが、何か気になるので撮影。 
     
  池地青壮年団之建とある。 静かな集落です。 
     
あまり人とは会いませんでした。 人口の割に家は多い気がします。空き家が多いのかも。  区長さんの家。困ったらここで聞くといいでしょう。
     
区長さんの家の裏は⑫テラ屋敷になっています。 池地診療所  墓地の裏側。神道みたいな感じ。 
     
  集落の北西側。ここら辺の家が古くからある家だという。  集落を南に抜けたところ。
     
歴史を感じる道。この左側が⑬かな?伝承ではこの家が集落で一番古く。十五夜豊年祭の八月踊りはここから始まるという。 左記の写真の右側。撮影だけしてみたが、特にいわれのある場所ではなかったみたい。

アガンマバラ

     
池地小中学校 奉安殿。昭和10年頃の建築だという。戦時中を偲ばせます。  学校前の通り
     
今は生徒が何人いるのでしょうね。 集落を東西に延びる道。一回ハブがいるのも見かけました。  
     
恐らくこちら側の方が集落の歴史として新しいのだろう。    
     
池地地区リサイクル施設。 集落の南側  島で唯一の郵便局。 
     
池地川。ここより右側がオーコーバリ。目の前に見えるのはNTTの施設だったかな。