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佐手久

 
 佐手久は島の北東にあり、北は志戸桶、南は塩道、西は小野津に接した字です。所在地は志戸桶になりますが、七城は集落のすぐ北西の崖上に立地します。集落の語源について書いてある文献は見ませんが、琉球竹を意味するデークと関係があるのでしょうか? 
 聖地は公民館の後方(西側)に保食神社があります。
 グスクは永吉毅著作「沖永良部島 地名考 付 奄美諸島の小字名」を見ると、如城久下・城久畑の二つがある。前者の読みはジョグスクシタとでも読むのだろうか?ニョグスクだとしても、いずれにしてもグスク名として聞かないパターンである。如城久というのがあり、その下側(恐らく標高的に)にある字名なのだろうか?佐手久集落は西側を崖に囲まれているので、どこかの地点を指すか(可能性としては七城も排除できない)?そして、城久畑は如城久と関連する畑か?


     
集落北側入口 位置的に丁度中心部かな。  バス停 
     
集落内 集落西南西にある高台。反対側の西北西には七城があります。麓には保食神社や墓地があるし、これがグスクってことはないかな?  集落から西側まで続く一直線道路。 
     
公民館。集落の南端近くにあります。   左が参道竣工記念碑。右側は落成記念とある。 
     
公民館のすぐ後方(西側)は保食神社となっています。碑文には由来が書かれています。神社再建のため解体したところ発見されたご神体に「近年牛馬の憂いあり、外に祈る所の鬼神が無く、此において郷中及び一同奉献してここに建てる 干字慶應弐年寅五月吉日 一郷中」と書いてあったようです。 左記碑の後方建物 鳥居と上には社殿。 
     
何か書いてあるようにも見えるが、読み取れん。 立派な岩です。  神社麓には墓地がある。神社周辺が字如城久下であれば管理人のグスクは墓であるという考えを補強するんですがね。 
     
  社殿前のスペースの関係上窮屈なアングル。 神社由来などが書かれている。御祭神は豊受姫之命、御神体は神鏡とある。先ほどの保食神社の説明で発掘されたという御神体はこの神鏡のことでしょうか。
     
御神体は見えません。 社殿からの眺め。 集落南側