ガヂマングスク
桃原の東側に位置するグスク。別名アダン山と呼ばれる。仲松弥秀の文献以外ではグスクと書いてあるものは見当たらない。 桃原は昔から集落として存在していたが、行政上は奥間の一部であり、独立したのは大正になってからである。桃原集落は500年程前にアダン山を切り開き、現在の金萬神社がある場所に住み着いたのが始まりだという。そうすると、グスクと呼ばれ始めたのはそれ以後の可能性が高いが、そうだとすると他のグスクと比べて時期が遅い気もする。そのためか拝所としての機能はないようである。もっとも、墓が多く、群墓もある。 「国頭村史」によると、奥間のマキョ名は「かねまんまく」と言うとのこと。奥間は察度王の父である奥間大親が鍛冶を行った場所である。沖縄では鍛冶にまつわる場所に「カネ(ニ)マン」「ガジマン」等の名前が付くことが多い。 別名アダン山であるが、アダンの木はなさそうに思えた。かつては海岸線がこの近くまであり、アダンが実際にたくさん生えていたのだろうか。 |
全景 | 近づきます。 |
グスクらしい地形と言えばそうであえる。 | 麓には墓が多い。 |
拝所がありました。 | |
最近出来たのか、ガヂマングスクの拝所としては捉えられなかったのか。 | 山中 |