恩納
恩納は恩納村の役場がある恩納村の中心部であり、位置的にも村の中部に位置する字です。集落は恩納村の中では大きい方であり、仲泊・山田と並んで人口は1000人を超えます(もっとも、昔は人口が一番多い字だったが、最近仲泊・山田に抜かれた)。字内には万座毛があるように風光明媚な場所であり、ペリー一行が訪れたときにも、恩納村は大絶賛を受けているようです。 「おんな」という地名は南西諸島で幾つか見受けられるが、少なくとも「恩納村誌」発刊時点では意味が不明らしい。伊仙町・うるま市石川・本部町伊豆見などに地名がありますので、実際に訪れてみて共通点から語源を推測するのも楽しいかも知れません。 「恩納村誌」によると、恩納は国頭郡で唯一殿があり、城内之殿と兼久之殿がある。そして、殿や拝所などからして、かつて二つあった集落が合併して出来た集落なのだという。その二つの集落は、恩納グスク背後の台地とアンデンダ山にあったそうです。なお、恩納グスクの南西に古島と呼ばれる場所があるが、集落合併後の古島(昔の集落)であり、集落発生の地としては一番古いわけではないようだ。 集落の聖地は、「沖縄国頭の村落(下)」によると、①グシク②カニクガー③フルシマ(古島)④ウガミ⑤ミーガーラ⑥当袋川⑦クムイ⑧古い墓地⑨カマラーガー⑩ヌンドゥンチ⑪カミアサギ⑫カンジャガー⑬アカヒラムイ⑭アカヒラ⑮墓地がある。このうち①グシクは恩納グスクであり、別ページにて紹介します。 「琉球国由来記」では御嶽が二つある。一つは「ヤウノ嶽 三御前」であり、神名は「ツミタテノイベナヌシ・オロシワノイベナヌシ・アフヒギノイベナヌシ」となる。もう一つは「浜崎嶽」神名「ヨリアゲノイベナヌシ」となる。前者は南恩納にあるヨウ島の御嶽であり、後者は上記恩納グスクになる。 「恩納村博物館紀要第3号」によると、北伊場に古島遺跡(上記③に該当)があり、15~16世紀頃の建物遺構が確認されたという。 なお、恩納漁港・万座毛・ウドゥイガマは別ページ参照。 |
恩納松下の歌碑。背後には松もしっかり生えています。 | 恩納ナビが歌を歌った背景などが書かれています。1719年に中国の副使節が北部視察に来ることになったため、風紀を乱すようなものは見せられないとして、琉球王府は毛遊びを禁止した。それに対して、恩納ナビが歌ったものらしい。ちなみに、毛遊びとは、若い男女による歌遊びのことで、現代なら合コンみたいなもんでしょうか? | 「恩納松下に 禁止の牌のたちゆし 恋しのぶまでの 禁止やないさめ」 意味は「恩納藩所前の松の下に 禁止の立札を張り出しているが 恋をすることまで禁止する定めはない筈だ だからわれわれ若い者は 恋をするのに何も恐れはばかることはないでしょう」だそうです。 |
恩納ナビ誕生の地 | 井戸です。集落のどこら辺にあったか忘れました。上述聖地にある井戸かも不明。 | まだ水は湧くようです。 |
恩納村郵便発祥の地だそうです。 | ポストの石像。 | JA近くにある拝所。 |
これも井戸 | 水があるように見える。 | 恩納ナビー誕生の地入口 |
公民館近くの公園。 | 拝所があります。 | それ以外はただの公園です。 |
公民館 | アサギがあります。 | 恩納松下の歌碑入口 |
カンまでしか見えないが、多分上述⑫カンジャガーかな。 | 村指定文化財だそうです。 | 確か水がまだ湧いていた気がする。 |
集落の外れにて。 | 恩納岳が見えます。 | 58号線を通る度に気になる壁画。まだあるのかな? |