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歴史の道(仲泊方面)

 
 琉球王朝時代、首里から恩納を通り国頭へ向かう道を国頭方西街道といった。そのうち、恩納村真栄田・山田・仲泊の道は保存状態が良かったので、県が整備し、散策コースとなりました。このページでは仲泊の道沿いにある貝塚などの文化財を紹介します。山田真栄田については別ページ参照。 

唐人墓碑&博物館

   
博物館の隣にある唐人の墓碑。 1824年福建省の商船が嵐のため難破し、脱出した6名が仲泊の浜に辿り着いたが、うち5名は既に死亡し、生存者は1名だったという。そして、生き残った者は仲泊の人々の看護により国に帰ることができ、死んだ者5名はこの地に葬られたという。道路工事により墓は壊され、現在は墓碑だけが残っている。
   
死亡した5名の名前が見える。 博物館。恩納村の聖地についてはここで聞くとよいです。 
   
  恩納村といえば、恩納ナビです。

仲泊遺跡

   
博物館のすぐ目の前にある歴史の道&仲泊遺跡。複数回に渡って撮影したのをまとめて掲載しているので、写真ごとに若干のムラがあります。 恩納村教育委員会発行の「国頭方西街道」というパンフレットによると、4つの貝塚と1つの洞窟内遺跡(3500~1500年前)と比屋根坂石畳道からなる遺跡だそうです。
   
仲泊遺跡の説明板。文字が剥げ落ちていて読みにくい。 比屋根坂石畳道
   
仲泊遺跡第三貝塚 岩陰内は沖縄先史時代後期の住居跡だそうで、風葬墓もあったようです。
   
  ここに住んでいたということでしょうか。
   
仲泊遺跡第1洞です。これも沖縄先史時代後期の住居跡だそうです。 奥に2、3人が生活できるスペースがあるという。
   
  仲泊遺跡第二貝塚。沖縄先史時代前期・中期・後期の遺跡が入り交じっているようです。佐賀産の黒曜石も発見されたとのこと。
   
ここら辺にも住んでいたということでしょうか。 周辺風景 
   
今でも鬱蒼とした森です。 仲泊遺跡第四貝塚。この巨岩の前に遺跡が広がるらしい。
   
これも沖縄先史時代前期・中期・後期の遺跡が混合しているらしい。 この岩陰に住んでいたようだ。
   
比屋根坂を上る。 若干きつい坂もあります。 
   
  坂を上ると広場みたいな場所に出ます。
   
ルネッサンスリゾートオキナワの海上コテージが見えます。イユミバンタ(魚の群れを確認するための高台)と呼ばれる場所なように、海がよく見えます。 これを撮影したのは冬でしたが、夏の干潮時だともっと綺麗に見えるでしょう。 
   
ホテルが見える。 前兼久方面
   
  東屋
   
上記とは別の日バージョン パラグライダーが飛んでいます。楽しいでしょうね。
   
広場より先に進む。 何か門があります。 
   
更に進む。  
   
ホテルに大分近づいてきました。 記憶が定かではないが、山田グスク方面への道も続いていたような気がする。
   
一先ず、仲泊編はこんなもの。既にこの場所は山田になっているけど。 おおまかな地図