開饒神社
開饒神社は、奄美にサトウキビの苗と製造法を持ち帰った直川智の功績を讃えて、1882年に尾神山トンネルの麓に建立されました(正確には一度高千穂神社の境内に建てられた後、2回の遷座を経て、現在の場所にある。)。 神社の後方にある尾神山は、読みがオガミヤマのとおり、聖地とされている。そこでは木を切ってはいけないという。尾根にはウスジと呼ばれる道があり、カミサマが通るとされていたという。 開饒神社と隣接する高千穂神社は、1869年に恩勝村の村社として建立され、近くにあった厳島神社も後に合祀されている。高千穂神社は、地元の人々からはオミヤとかテラと呼ばれているという。 直川智の経歴については、磯平パークのページ参照。 |
開饒神社です。 | 社殿 |
川智翁祠・・・それ以下読めず。 | 「続=芋と黍と祭り」というタイトルである。 |
社殿から。 | 「開饒神社の改築を祝して」とある。 |
奉納者一覧 | 直川智翁の功績碑だそうです。 |
斜めから。 | 高千穂神社と隣接しています。 |
高千穂神社
別ページで紹介するのも面倒なので。 | 向かいは脇城山。集落が広がっています。 |
入口 | 尾神山麓の森 |
社殿 | 手水舎と言うべきか。 |
沖縄だと遺骨が納められていたりするのだが、何でしょうかね? | 社殿前から。 |