大棚
大棚は大和村の真ん中に位置し、東は大和浜、西は大金久に接する集落になります。人口は平成26年9月30日時点では271名と、275名の大和浜に次いで大和村では2番目に多い集落になります。読みは「オーダナ」で、方言では「フーダナ」である。地域は、本集落より西はアラバ地域という。 集落は大棚川を境にして、東側がイケダ(池田)、西側がサト(里)とミザト(美里)の三つの地区に分かれる。池田は別名アガンマ(東の方)とも呼ばれる。美里は「美」という当て字がされているが、新しいを意味する「ミ」であろう。 集落の移動については、かつて下記グスコを隔てた東側にケジンという集落があったが、大波に飲まれ、現在の集落に移動してきたという。集落東側にある池田地区は豊年祭の際はケジンで水汲みするというので、池田地区はケジンと関係があるようだ。なお、大棚集落には古里という小字があるが、「大和村誌」によると、池田地区の移動伝承を考えると、現在の里地区の故地なのかもしれないとのこと。 集落の史跡は①サトのトネヤ(里家)②サトのトネヤ③イケダのトネヤ④旧ミャー(旧土俵)⑤アシャゲ跡⑥時家⑦公民館・土俵がある。里にトネヤは二つあるが、美里にはない。池田にある時家は大棚集落の始まりの家だという。 集落にはグスクがグスコ・池城・戸城・宇宿田と四つある。「大和村誌」によると、池田地区のうち東側とその東側にある丘陵をグスコと呼ぶ。三木靖によると、前者三つは集落の平坦地で住宅地だという。池城という名前からは、池田集落と関係がありそうだが、文献等からは正確な位置が分からなかった。池田地区の西側にあるかもしれないし、全然関係ないかもしれない。沖縄にある池城は単独墓であることがあり、池田地区にもひょっとしたら墓があったのかもしれない。戸城はトグスコと読む。語源は想像つかないが、元はトーグスクだったりするのだろうか。宇宿田については、かつては集落南方のメンヤマの麓には水田があったようなので、そこら辺にあるグスク名かもしれない。 |
かごしまロマン街道。湯湾岳・フォレストポリス・マテリヤの滝に行けます。管理人は何度も奄美に来ているのに一度も行ったことがありません。 | かつてはこちらに集落があったという。向かいはグスコ。 | 海です。 |
グスコ麓 | 別に拝所でも何でもなく、「みんなで育てよう自然林を」といった標語です。 | |
港 | 集落入口 | グスコ |
大棚入口バス停 | 池田地区 | 大棚川 |
大棚小中学校プールです。 | 敷地。ひょっとしたら宇宿田はここら辺なのかも。 | 大棚川 |
学校です。 | 川から向こうが池田地区。 | 大和診療所。建物自体は撮影していません。 |
ガソリンスタンド | 大棚川 | 池田地区(だった気がする。) |
池田地区 | 「大和村誌」を見る限り、イケダのトネヤはここら辺なのだが。 | 里地区へ。商店です。 |
頌徳碑。名前は管理人の教養では読めません。 | 境界右線。右とは何ですかね?特に地区を分ける場所にあるようには見えなかったが。 | 里地区 |
道が緩やかに曲がっています。 | 旧公民館です。 | |
旧ミャー・アシャゲ跡ですね。今は駐車場?になっている。 | 里地区 | ここら辺にサトのトネヤがあるはずなんだが。 |
集落から見える最も高い山はカンヤマと言うらしい。正面の山でしょうか?頂上は平場になっていて、特別な石が置かれているらしい。 | 県道に戻ってきました。 | ユーアイ大和? |
公民館。海沿いに移転しました。 | ハイビスカス | 土俵 |
浜辺 | 港 | |
海沿いにあるアパート。最近開発され、建てられた感じがします。 | ||
墓地。里地区の県道沿いにあります。美里地区が出来るまでは集落の端にあったのかもしれない。 | ここから先は美里地区 | ここからは2010年撮影分。宇検村方面から来ました。 |
港 | 学校敷地。「明るくねばり強く」だそうですよ。 |