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平和の塔

 
 第2時世界大戦における沖縄戦では切っても切り離せない話題である慶良間での集団自決。米軍が沖縄に上陸により渡嘉敷・座間味両村では何百人にも上る自決者が出ました。今でも日本軍の関与云々が議論されていますが、興味がある人はいろいろと調べてみましょう。そして、出来れば慶良間を訪れた際に慰霊に訪れて下さい。
 行き方は、座間味集落から少し上ったところにあるので、徒歩でもそんなに時間がかからずに行けると思います。
 以下、説明書きより抜粋。ただし、印刷が不鮮明なところがあったので、正確なものではないです。「1945年3月22日。米軍は沖縄攻防戦の防波堤であった慶良間諸島を海空から攻撃し、同月26日、沖縄戦の第一歩となる上陸が行われたのが本村です。当時最も過酷悲惨だった集団自決者402名を含め、軍属あわせて1320柱の英霊を鎮める平和祈願の塔です。」 

     
入り口にはこの説明書きがあります。 平和の塔入り口。ここから3分もかからず着きます。  平和の塔。後ろにある文字列は、戦没者の名前。変な話ですが、沖縄の集落と名字を調べる上で慰霊碑というのは役に立ちます。
     
塔の文「静ふる ツヅジ花咲く 岡の上 玉と砕けし人々の 御霊を永久に 島守りの神と 祀らん村人は 1957年3月26日」 「ふるさとの 山河に散りし、御霊らの 溢れる無念(おもい) 永久に忘れし」  碑の前から見える光景。